KAEROU
 

 9月11日の日本時間22時ちょっと前、私は自宅でNHKのニュースを見ていた。台風15号は首都圏を通過し福島県いわき市を通過中である。いわき市立美術館では15日から『HIBINO DATA ON OUR TIMES/日比野克彦展ある時代の資料としての作品たち』が始まる予定で、この日、日比野はいわきでの設営から帰ってきたところで、明日またいわきに材料を持って出かける準備をしていたところであった。12日には美術館の前庭で壁画の公開制作をすることになっていた。台風の影響はどうなるのだろうか?15号の速度は時速10キロと、ノロノロ北上している。今年の台風がどれも速度が遅いのはジェット気流が発達してない影響だそうである。強い風を吹かす気流があれば台風もあっというまにぶっ飛んでしまうのだが、今年はちょっとずれていて台風の進路にはジェット気流がひっかかってこないのである。屋外に既に設置してあるキャンバスは大丈夫だろうか?明日も雨風が残るのだろうか?それともカラッと台風一過で晴天になってくれるのか?などど頭の中に12m×3mの白い画面を描きながらテレビの中の天気図を見つめていた。その時NHKの堀尾アナウンサーの喋りが中途半端に途切れた。テレビ画面が天気図から突然全く関係ない映像に変わった。その映像はいわきの波止場の台風中継でもなく、水戸の偕楽園の風に耐える梅の姿でもない。ビルが燃えている。高層ビルが燃えている。どう見ても、これはニューヨークのツインタワーである。どうした?事故だ!火災だ!テレビはいままでにさまざまなニュースを見せてきた。神戸の震災のあの高速道路が崩れ落ちている風景、普賢岳の土石流、ホテルニュージャパン、123便日航機墜落。どの事件も突然、当たり前だが突然と日常の中に飛び込んでくる。この日もそうであった。アナウンサーさえも状況が掴めないほど、突然のショッキングな映像であった。私は事故だと思った。管制官のミスによる誘導ミスか、飛行機の計器の故障によるあまりにも不運な要因が重なった挙句のワールドトレードセンターへの衝突事故だと思った。まさかそれがテロだとは思いもよらなかった。堀尾アナが言った。「民間の航空機がワールドトレードセンターに衝突しました。テロの疑いがあります・・・・・・。」そのころだった。画面に映し出されている、上層の方から煙を出しているビルを遠くから望遠で捉えているであろうその映像の中に、ヒュイと飛行機が突っ込んできてビルに衝突した。そして煙を出した。私はリプレイしているのかと思った。混乱した。リプレイだとしたら煙が増えている、煙をすでに出しているビルに飛行機が現われて突っ込んできた。最初にNHKに飛び込んできた映像は二つのビルが重なっているアングルの映像で、どちらのビルから煙が出ているのかわかりにくかった。どういうことだ?この映像は生中継なのか?どうして2機が同じビルに?テロ?「3機目が次なる標的に向っているとの情報が入りました」この言葉をアナウンサーから聞いた時、やっととんでもないことが起こっているんだということを把握した。ドキドキした台風のニュースのことは忘れていた。自分の公開制作のことも忘れていた。個展のことも忘れていた。これからいったい何が起きようとしているのか?どんな映像がテレビが映し出してくるのか?想像ができなかった。どうしてこんなことをするのか?どうしてこんなことができるのか?何を考えても訳が分からず、ただただテレビの四角い画面を見つめるのみである。他局の映像をしばらくしてからザッピングし始めた。CNN、ABCなどのアメリカのTV局の映像もケーブルTVを通して入ってきた。初めて異なるアングルからの映像を目にした時、この出来事が完全なる事実として認識できた。それまでは当然事実だとはわかってはいたが、一種類のアングルの映像しかなかったため、時間の流れが理解し難かった。「ほんとに起こったことなんだ!ニューヨークでこんなことが起こるなんて・・・。」
 翌日12日午後1時、私はいわき市立美術館の前庭に立っていた。目の前には12m×3mの白いキャンパス。後ろには200人ほどのギャラリーの人たち。天気は晴天!雲一つない台風一過である。私は昨晩は明方までTVにかじりついていた。ワシントンにも飛行機が突っ込み、貿易センタービルが崩壊し二次災害が起こり、アナウンサーは「アメリカの飛行場では全ての飛行機と連絡をとり、ただちに着陸するように指示をあたえました。まだ連絡のつかない飛行機が7機あります。これらがテロリストによりハイジャックされている疑いがあり・・・。標的とされている恐れのあるところは・・・。」などというニュースを聞きながらソファーで寝てしまっていた。青空のいわき市で白いキャンバスを前にした私の手の中には一枚の写真があった。私は毎日新聞の号外を東京駅でもらい、上野駅のキオスクでスポーツ紙を3紙、一般紙を3紙を買い、スーパーひたちに乗り込んだ。電車の中で昨日起こった事実をもう一度確認していた。その中にテレビから複製した一枚の飛行機の写真があった。それをやぶいてポケットに入れた。
 1980年から20年間の作品が美術館には展示してある。日比野の作品と同時期に生きてきた者にとってはどれも自分にとって思い出を紐解き出すきっかけになる作品である。今回制作したカタログには作品の紹介とともにその時代におこった社会的事件、現象も年表のようにして同じ軸の流れのなかで見れるようになっている。翌日行われた作者によるギャラリートークでは参加者にカタログを一冊ずつ持ってもらい、日比野が話したことをカタログの作品の写真の横に書き込んでもらうのと同時に自分のその作品にまつわる思い出とか、感想を書いてもらうようにした。ちょうど自分の幼いころのアルバムに両親がさまざまなエピソードを書き込むように。作品を好きになるということには理由がある。色なのか形なのかモチーフなのかテクスチャなのか・・・何なのか・・・。自分の思い出と共有する部分があるから好きな作品の前で足が止まるのである。その理由を自分で突き止める。自分たちの中に忘れ得ぬ思いである。映像がある。
 脚立にのぼり、白いキャンバスの右上の方に、私は新聞の切りぬきの走査線の入っている飛行機の写真をもとにして飛行機の絵を描いた。少し機体を左に傾けている。そして12mのキャンパスの左下にビルの絵を描いた。高く高く、下から積み重ねて描いていった。背伸びをして描いた。もっと上に描き足そうと思い、筆のお尻を持って、一番長く筆を持ち、つま先立って描いた。不安定になり転びそうになった。一つのビルは赤く、一つのビルは青く描いた。ギャラリーたちは飛行機を描いた瞬間から昨日のTVの映像を思い出していたに違いない。考えることは多い。真中にぽっかりあいたスペースに色鉛筆の朱色でくるくるくるくる小さな丸を同心円で渦状に描き始めた、少しずつ大きくなっていく。大きくなったのがわからないくらい少しずつ大きくなっていく。リズミカルな音をたててグルグル赤い丸が白いキャンパスの上の現われる。丸が描き終わると絵の上辺に詩を添えた。
HI GA SHIZUMU HI GA SHIZUMU HI WA KANARAZU SHIZUMU ANATA WA DOKONI KAERU NO. HAJIMETE HITO KARA KAKURETE NAITA TOKORO NI. KAEROU HI GA SHIZUMU MAE NI. KAEROU. KAEROU. KURAKU NARU MAE NI.
 下校途中の高校生が美術館の前で溜まっていた。「じゃあね、明日またね」日が暮れるから家に帰る。

そんなことができない人たちがいる。当たり前のことができなくなってきている。友達に帰れと闇夜に出てくるより、その前に、自分も家に帰りましょう。


太鼓と人間の研究情報誌「たいころじい」第20巻
2001年12月10日(年2回発行)発行  
[つれづれ咄3] より転載